昭和五十七年七月十五日 朝の御理解
御理解 第 百節 めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというではないか。金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ。
家繁盛子孫繁盛の道というのは、どういう道を言うのであろうかと、そこに関心を持たせてもらえる、それを研究して行かねばなりません。ただ金光様の信心を、代々続けて頂いておりますというだけではなさそうだと、その証拠には長年信心はもう何代目という人達が家繁盛子孫繁盛になっていないという事実が沢山あるという事、してみると教祖の神様は嘘をおっしやつておられるだろうかととまで、なりかねませんから、私共はいつも私は思うんですけれども、教祖金光大神様が本当に真の事を教えておられる、だから真の信心になれば、真のおかげが受けられる、これが私のおかげを頂いていく一つの基本精神なんです。
ですから、そこんところを私共がね、金光大神は家繁盛子孫繁盛を教えるという事は、金光大神はね、御神徳を頂ける道を教えて下さるという事ですね、御神徳を頂くという事がね、いわば家繁盛子孫繁盛の元になるのですから、だから昨日の昼の御理解の中にも申しました、これはどういう事からだったでしょうか、大牟田教会の初代教会長、ま大変当時御比礼が立ったそうですが、あちらの先生がいうておられたと言うことをお道の信心はどういう事であっても、それを必ずおかげにしていく道だと言うておられたそうですね、それを私、聞いておりまして、その話をしておったら丁度大牟田教会の先生、修行生という人と信者とお参りをした事がある、その話をさせて頂いたんです。
そしたらそれを帰って今の教会長に話されたらしいですね、あのう先だって久留米の御霊祭の時にお話し、あのうお年寄のお婆あちゃんですね、小さい品の良いお婆ちゃんですね、もう八十幾つでしょうか、まあ素晴らしい、ま大学の先生をなさっておられたと、いう事ですから、もうこの方の字は、そりやもう素晴らしい字でした。その方がその話を聞いてからわざわざね、きれいな白紙に、素晴らしい字で、初代のお言葉というのを書いて送って下さいました。
おそらくそれをまだ若先生が確かなおしておると思いますが、その事です。ある人がねお道の信心はどんな事であってもそれをおかげにしていく道なんだとね、必ずおかげになる、おかげにしていく道を教えるのだと言う事を私昨日、思い出しましたから、今とばんに掲示しておるように、そんなふうに書きました。もう必ずおかげ頂いていく道だと、間違いなくそうです。けども合楽ではね、お徳を頂く道を教ると、ま、トバンに書いてありますよね。ですから、合楽でいわれるのは、全てお徳を頂く道なんです。ですからそれを行じてお徳を頂かんおかげを頂かん、こりやもう銘々各自各自の信心です、確かに合楽の場合はね、いわゆる御理念に元ずく行き方は、必ずお徳を受けるのです、ですから合楽にご縁を頂いとる皆がお徳を受けるという事ではなくて、お徳を頂く道をね。
例えば、一つの難儀な問題がある、一生懸命な信心をして奇跡的おかげを頂いたというだけでは、やっぱおかげだけです。けどもその事を通して合楽理念に基づくとね、いうならば黙って治めるとか成行きを、いよいよ尊ばせて頂く頂きかたをしておると、それが神愛である事がわかってくるのです。してみるとその難儀と思うておった、その難儀そのもの、神様のお徳を下さろうとする働きであったと、わかる信心による事に初めてお徳が受けられるのです。ただね、ただ苦しいから助けて下さいの一心の信心をしただけでは、おかげを受けるというだけに終わるのです、その事を通してお徳を頂くね、ですからどうでもね、最近言われるその一切神愛論というものがね、私共にもう、本当に一切神愛でという、確信をもたなきやならんのです。
それには、御理念による他はない、一切神愛論という、一切神愛という事が分かるためには、いよいよ御理念の徹底である。昨日高千穂のあぜちという方から電話があった。なかなか変わった普請をされるのに、上に大きな八ッ波の御紋章をこうあげたというので教団でそれが問題になり、それで近所の先生がやかましゅう言うてきなさって、とうとうその八ッ波の御紋章、瓦をおろさせなさった、というような、ま、問題をなさったお人なんです、ただ神様に対する一途なものをもっておられるんですね、昨日電話が掛かってまいりまして、もう今日は不思議な不思議な、有難いお夢を頂いたと言うんです。
どういう事ですかと言うたら、真っ暗ななかに大黒様が座っておられてその大黒様の周辺だけは、後光が射すといったようなもんぢゃありません、もう真昼のように明るくなったというお知らせ、そしたら、その大黒様がよく見ると右の目がつぶれておられる、それでその大黒様を、勿体ない勿体ないと拝みよったら、その目をパチッと開けなさったと、ね、そしてまあ合楽理念とはいわんけれども合楽理念を守っていく以外はないという御言葉を頂いたというのです。いうならば大黒様の言う事を聞かねばおかげにならん、家繁盛にはならんと今日の御理解でいうと、いうならば大黒様は家繁盛子孫繁盛の道を教えるのじゃという意味の事を教えられたんだそうです。私はそれを聞いてからはっと思った事があるんです。
というのは、それが丁度朝の二時半頃だったと言われるんですね、お夢を頂いたのが、私はその二時半にいつも目を覚ますのですけども、この右目があかんのです、ははあ神様との一つのつながりというものを、だから昨日は、その朝私はそう申しましたから、中村先生があのうそういう時にさす目薬を頂いておりますからというて、目薬をさしてくれましたが、今朝はおかげで目が開きました、ただそのあぜちさんが、時間もたがはずそういうお夢を頂かれた、私も実際片一方の目がつぶれてから開かなかったんですからね、そういう事からなにかそこに、いうならば不思議な働きを感ずるわけですけども、その大黒様が言われた事を守らなければ家繁盛子孫繁盛の道にはならないぞというお知らせであったと。
しかもとても後光が射すなんてん、ち、言う位なこっちやありませんもうその真っ暗な中にその周辺だけは、真昼のように明るくなったというお知らせであった。皆さんどう思うですか、そして私は今日はこの御理解百節を頂いてるんです。ね、合楽、いわゆる金光教が百年、そして様々におかげを頂いてまいりましたが、本当にこの御理解百節のような、おかげを受けておる人達が少ない、それは金光大神の教えられた事を守っていないから、ただおかげを頂く道である事だけは分かっておったけれども、金光大神はお徳を頂く道を教えておられるという事に気がつかなかった、それにだから、徹しなかった、それをなら御理念によるとです、金光大神のみ教えはもうあらゆる角度から説きます。
しかも誰でもそのきになれば行じられるように説きます成程、大黒様が言われる事を守らなければ家繁盛子孫繁盛にはならない、十三日会があって十四日の日です、福岡の伊藤さんが毎日今一時の御祈念に参ってみえます。昨日は十三日会で大変まあ、おかげを頂きました、そりやおかげ頂いたですねと、もうとに角、あの秋永文男先生がお話になった、文男先生の御祈念ぶりというものを聞かせてもらいました、教祖生神金光大神様。生神四神貫行之君の神様、三代生神金光大神様、現教主金光様と御取次を願われる時に、そのお名前を唱えなさって御祈念に入ると言われた、本当におかげ頂く人の行き届いた信心には恐れ入ってしもうて、今日も道々そのことをズーッと思うて参っておりました、そしてそれこそ、ふっと、前を見たら、前の車が大坪連絡所という車が走っていたと言うんです、皆さんどういう事だと思いますか。
私は文男さんが話を聞いておって、成程私は三十年前には文男さんが言うておった通りのような御祈念をしておりました。必ずだから昨日も研修の時に話題になった事でしたから、いうならあれは私の三十年前のセリフであって今の私はちがうというて皆にその事を研修した事でしたけれどもね、大黒様が言われる事はそのまま生神金光大神様が言われる事、ね、してみると四神様とか、三代様とか、いう事はいらんです、もう四神様も三代様も教祖生神金光大神の中に抱合されておられる御一体である、大坪総一郎の祈るところ教祖金光大神様の御信心ともう御一体である、それをここでは天地人一如というような言葉で表現されます。
今日の御理解を私、頂いてまた今のあぜちさんのお夢という事を頂いてみてです、大黒様が言う事を聞かなければ家繁盛子孫繁盛にはならんというね、片目がつぶれておられるとか、昼のように明るい、これは私はね、いよいよ神様の間違いない、神様と私とのつながりといったようなものを感じずにおられないようなものを、そのあぜちさんの話の中から、また、私の上に起きておる、その中から、感じるのです、ね、どうでもここでは、だから私は昨日、研修の時にも申しました事でしたけれども、文男さんがあげんいいよったけれども、最後に言うとろうが、私の信心もここに一つ、まあ、変わっていかなきゃならない事をしきりに感ずる、というような意味の事を最後に結んでありましたが。
文男先生が信心がいうなら三十年前の私の信心をただ頂いておるとならば、もういうならば私との隔たりがある、こういうところをこの人は、分かっていくとぢゃなかろうかねと言うて、昨日は話した事でございましたがね。皆さんの場合、生神金光大神は家繁盛子孫繁盛の道を教えられるようにですね、私はここでは皆さんにお徳を頂く道だけを説いてるんです、ですから、それを皆さんがお徳にするしないは、皆さんの信心いかんによる事であり、しかもそのお徳を頂く道というのが、とてもそれは難しいというのではなくてです、ただ助けて下さい助けて下さいでおかげ頂く道だけにするか、お徳を頂いていく道にするかという事は、皆さんの信心いかんによる事なんです。
合楽で、ならお徳が受けられるね、お徳をだから、なら、昨日私は、昨日一時の、あれには、一番始めに書きました、あの御理解を頂いてから一番始めに何を感じるかとね、ああお徳が頂きたい、だからそれを一番先に書けと私はね、とにかくお徳が頂きたいとして、ま、お徳を頂くね結局はなら、一切神愛論のマスターだ、どんな場合であっても一切神愛とこう感じれれる信心をまずは頂く事だというふうに申しましたですね。そして合楽にご縁を頂いておる値打ちは、もうだれでもがお徳の頂けれる道を行じれるように説かれてあるという事です。ですから本当に私共がおかげを頂きたいというその事柄を通して、そりや自分の行き方はその問題を通してお徳を頂く道、頂きかたをしておるかどうかという事をです。
ただその事がおかげ頂きさえすればいい、どうぞどうぞという信心から結局脱皮しなければいけない、いかに大黒様が言われる事であってもね、それを守って初めて、家繁盛、子孫繁盛の道を大黒様は教えて下さるんだなという事が、わかるんですよね。
どうぞ